体育祭に想う② 東大附属の○○○○な体育祭

副校長より

前稿で、体育祭・運動会の歴史的な意味、なかでも保護者がリアルタイムで参観することについて少し思うことを書きました。実はSNSでのやり取りはもう少し続きます。

「トーフのゆる~い運動会は最初は目からウロコでしたが、毎回楽しませて頂きました感謝。生徒が自主的にやってる感は文化祭もそうですが美しかったです。」と66回生のお父さんから。
「まだまだ課題が多くて、生徒の力が引き出せきれていません。練習もなくリハ1回しか保障しなければ、知れています。それでも任せきる文化だけは守りたいです。」と返信したところ、63回のお母さんから「任せ切る。素晴らしい。是非その文化を守ってください。」66のお父さんからは「充分だと思います。6回できるのは強みですね。」

実はこのPTAウェブサイトの、むか~しの記事に「会長の部屋」というのを発見して、その記念すべき最初の記事が体育祭観戦記だったのです。書き出しはこうです。

「東大附属に入学して、最初の体育祭。
6年前のことである。
だらだらと、集合し、何をしているのか分からないプログラム進行。
応援合戦は、ふざけているようにしか見えない。
これが、中高一貫校の体育祭なのか?
ビシっとした体育祭を期待して、朝早くから出向いていた私は、苛立ちを感じ始めていた。」

「わかる!」と共感するのは、保護者の皆さんも教員も同じだと思います。
つづいて2年目には男子のふがいなさに苛立ち…

「しかし、3年目、4年目と過ぎていく中で、私の東大附属体育祭への印象は、少しずつ変わっていくのであった。」

今は管理者でないと読めないページになっていますので、文字だけPDFに直しました。
つづき、ぜひ読んでください。「任せる」ことの意味についてかかれています。

こちらです。

また2006年度から2009年度にかけて、まだグラウンドが300mの土のトラックだった頃、当時の幹部団がどのように改革を進めていったかを、保健体育科の教員2名が連名でまとめた記事が、『生徒がつくる体育祭』というタイトルで「たのしい体育・スポーツ」という雑誌に掲載されたことがあります。

「100m競争のいつ始まったんだか終わったんだかわかんない、あの状況を何とかしたいんですけど」。委員長のひと言から、競技の全面的な見直しが始まりました。「ゴールの位置を他の種目と合わせようよ」「せっかく直線で100m走れるグランドなのにわざわざコーナーを走るの?」「でも100mで直線使わずに済んだら、他の種目では3レーンまでしか使わないからさ、保護者席をずいぶん確保できるんじゃない?」「大会記録はどうするの?条件が変わったら意味なくならないかな」「もともと風向風速もとってないし、生徒が一人で計測してるから誤差が大きくてあんまり意味ないなと思ってたんだよ。この際、体育祭における大会記録は、無くしていこうと思っているんだけど」

これも当時を知る貴重な資料と考え、ここに最終稿のリンクを貼っておきます。
いつまでも生徒が主役の学校であり続けることを願って。

その記事原稿はこちら。

Posted by forschool@